音訳と朗読

2011年5月18日 (水)

YouTubeに、芥川龍之介「蜜柑」をアップ

視覚障がい者向けに音訳として、読んだ「蜜柑」です。
テンポ、間、声の調子など、あまり変えず
・・・変わっているところもありますが、これは表現しようと変えたのではなく、
かなり自然と変わってしまった、という感じです。

朗読をするとき、「強調」「間」「転調」といった音声表現をします。
これに、強弱・緩急が加わります。
こういった表現を駆使して文章を、読んでいきます。

もちろん、発声・発音・抑揚・アクセントといった基礎の上に、こういった表現を加えていくわけですが。

およそ10年朗読・音訳をしていて、思うことがあります。
10年やっていますと、表現技術もかなり身につき、「読む」から「語る・話す」ことができるようになってきます。

そのとき、音声表現が、過度であると、
つまり、音声表現に頼り過ぎた朗読をすると、
・・・これは、私の朗読に関してのみ言っているので誤解のないようにお願いします。
「強調」が強すぎたり、「転調」が鋭すぎたり、「間」が自然でなく、『ああ、十分な間をとっているんだ』と、
聴き手に「いらんこと・・・不必要なこと」が伝わってしまうのです。
まぁ、この場合の聴き手は、「聴く耳」のある聴き手かもしれませんが。朗読の先生とかね。

朗読がわざとらしいものになって、よくわかるんだけど嫌味に聞こえたり、していたようです。
今も、そうかもしれません。

これは、かつてブログにアップしていた朗読を聴き返すと、
・・・聴き返すのが怖いほど、こんな感じ、強すぎ・鋭すぎ・わざとらし・・・で読んでます。

「若いな」・・・一生けんめい読んでるんだけどね。

舞台やライブはその時限りなので、いいんですけどね。
というより、ある程度のテンションが必要なのでしっかり表現すべきです。

他に変わってきたのは、声の高さですね。年齢と共に低くなりますが、クライマックスにくると、だんだんたかくなっちゃうってくことが、抑えられるようになりました。高くなった声にプロミネンスで、更に高く・・・聴きぐるしいと言うことも和らいできたかな。

teabreak さんが、数年前読んだ「蜜柑」を動画でアップしてくださいました。
自分の恥をさらすようですが、「朗読」と「音訳」の違いにとどまらない、発見がありましたので、どうぞ両方お聴きいただいて、また、ご感想などありましたらお寄せ下さい。

もちろん、最終的には好みの領域ですから、明るく読んでいる以前の朗読の方がいいんじゃないってのもありかと思います。

最新の朗読で「蜜柑」を読んでみることもひつようですね。でもここまで言ってると更に恥をさらすことになりそうなので、今はやめておきます。

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2008年5月15日 (木)

音訳・朗読~発展途上~

先日の音訳勉強会のときです。

メンバーの一人が他の音訳の講座で宿題で録音したというテープを聴かせてくれました。

彼女は朗読も勉強している仲間です。何をするにもとっても熱心な人です。仮にAさんとしておきましょう。

物語の一部でしょうか、地の文章にカギ括弧の台詞の混じった文章でした。特にカギ括弧の台詞の一部の文字が大きくなっていましたので、それなりに怒っているところは怒って聞こえるように、喜んでいるところは喜んで聞こえるように読んでいました。

「(講座の)先生はこの読みは音訳としてはギリギリだと言われたけど、どう思う?」てな風に聞かれました。ちなみに先生の指導では、文字の大きいのは意識しなくてよいとのことでした。

「う~ん、ギリギリOKってことなら、いいんじゃないの」と、無責任にその場では答えてしまったのですが・・・内心どこか不自然さを感じる読みだよなと・・・

うちに帰ってからちょっと考えました。あんな答え方はまずかったかな。あの不自然さは何だろう???

その時、思い出したのが、地元の音訳ボランティアグループ(これは前出の勉強会や講座とはまた別のぐるーぷです)の20年・30年近く音訳を続けておられる先輩の読みでした。こちらは、Bさん。

今年度、音訳ボラのグループに復活した私はその先輩の音訳テープを聴かせていただく機会があったのですが、うまいんですね。いいんですね。これがとっても。

これを思い出しました。そして、思いついたのは、地と台詞のバランスです。(たいていのことを思いつきと感じたことで話を進めますので、理論的じゃなくてゴメンよ)

Aさんの読みはこのバランスがいまいち悪かったんじゃないかな、これが何か不自然さを感じた原因かも。講座の先生が何を指して「ギリギリ」と言われたのかはわかりませんが、

大先輩のBさんのバランスはとっても良いのです。台詞が自然とー大げさな表現はもちろんないですー入ってくるのです。「音訳」ですが、「朗読」といっても通用するでしょう。

自然な感じで読まれていますが、気持ちも伝わってきます。

物語や小説の「音訳」は、この、気持ちが伝わる自然な読みを、目指したいものだと、思いました。

文中の台詞をいかに読むか、たとえ朗読であっても、物によりますが、録音であろうが舞台であろうが、台詞だけが元気になってしまわないように。

文中の台詞をいかに読むか、音訳であっても、台詞は台詞らしく音訳を意識しすぎて不自然にならないように。やはり地の文も気持ちが伝わるように(気持ちを込めてとは違うと言いたいですが、どう違うんだと言われるとうまく説明がつかない)。

どちらも、バランスを大事に。

いや~、まだ10年以上かかるか~な

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2008年4月15日 (火)

音訳と朗読 その2

teabreakさんから正直な貴重なご意見をいただきまして、ありがとうございます。

少々音訳の旗色が悪くなっているようで、その2 を書きます。

といいましても、音訳者としてほんの駆け出しの者ですので、多くの先輩方のこれまで積み上げられたご奉仕とその努力には本当に頭が下がるばかりであることを最初に記させていただきます。

現在朗読として扱われている作品は文学・物語・小説、詩歌・エッセイの類がほとんどであると思います。

音訳はジャンルを問わず、専門書から市町村のお知らせに至るまで、墨字のものは、希望があれば何でもいたします。

昔々(それほど昔ではありませんが)というか当初は音訳と朗読という区別はなかったそうです。ところが、様々な方が様々な資料を視覚に障害のある方々にお届けしますのに、朗読では・・・ここからは私的な見解です・・・読み手に個人差がある、とても感情がこもりすぎていて聞けたもんじゃない、等々、いろんな問題があったんでしょうね。誰でもできる基本的な「読みの形」ができてきて、こう読みましょう、となってきたのではないかな?というのが、私だけでないですが、表面には出てこない一般的な音訳者の見方かな。

が、現在少々音訳の仕方というのが窮屈になってきていて、ちょっとゆるめようというところにあるんじゃないでしょうか。

ちょっと話は、ずれますが、私の知人の盲人の方が、エラク私の音訳が気に入ってくださったことがあります。なぜかと言いますと、読みがスピーディーなのです。朗読も速いですが、音訳もその頃もっと読みが速かったんです。彼女はとってもよく音訳テープを聴いてくださる方で・・・本を読むのが(黙読で)速い人っていますよね・・・そんな感じで、盲人の方ってお耳がいいですから、普段からテープを1.5倍から2倍速で聴かれるんです。だから読みはスピードがある方が良いのだそうです。

これは、音訳というか視覚障害者向けの朗読に必要とされるもののひとつが、何なのかを表しています。「情報」です。音訳は視覚に障害のある方々に、なるべく早く的確に情報を伝えることが大事なのでしょう。

私が一冊の本を音訳しようと思いましたら、下読みをして漢字や固有名詞の読みを調べたら、声を出して練習することなく即録音を開始します。

でも、朗読をしてネットに公開するときは、おそらく最低2回は練習をして、間の取り方、転調、プロミネンスを、一応考えながら読みます。気に入らなかったら、全部読み直すこともあります。(気に入るまで読み直すわけではありませんが)

だからといって、音訳が棒読みのようでいいのではありませぬ。ただ、表現法がある程度決まっていますので、朗読ほどの読み込みは必要ないと思います。

でもねえ、小説などは気持ちの伝わる朗読が聞けた方がうんといいですよね。

と、本音が出ましたところで、お休みなさい。(^^)/~~~

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2008年2月 2日 (土)

音訳と朗読

10月でアルバイトをやめまして、今月から市内の音訳ボランティアに復帰することとなりました。

月刊誌の一部の音訳は続けていたのですが、最近はデジタル録音ばかりで、久しぶりにテープ録音をすることとなり、約2年半ぶりでしょうかね、ブランクが気になります。

もう一つ気になることが・・・「音訳と朗読」ということなんですが。

8年前に、「音訳ボランティア養成講座」を受講したときは、音訳として良くない読みの例としてあげられたのが、『朗読よみ』という言葉でした。当時朗読講座も時期を前後して通っていたので、「わたし朗読をやっています」とは言えないわこれは。なんて当初思ったものです。ただ、講座を受けていくうちに、『朗読よみ』と先生が指摘されているのはどういう事なのかが、おぼろげながらわかってきました。

それは、文章で書くと難しいのですが、私の理解では、「変な抑揚のある読み方・・・文の最初の音が低いところから出ていて、途中で下がりきらず音が上がるので、うねってしまうような読み方・・・リズムや音階がついて歌っているような読み方・・・結果として感情が入っているように聞こえる読み方」のようです。

ところが、こういう「うねっている、歌っている」読みは、朗読でも敬遠される読みだったんですよね。

ですから、朗読が音訳にマイナスになるようなイメージは当たっていないのだと、勝手に結論づけていました。

もちろん、その二つに違いはあります。音訳は「視覚障害の方の目の代わりをするのですから、音訳者の解釈をいっさい加えない表現で読む」のが基本です。実際こんな事って可能なんだろうかという疑問は今もなお持ち続けていますが。読みはアナウンサー読みというか「ピッチ読み」というんですかね。普段話をするときと同じに、文の最初の音は高く、文末は音を下げる。フレーズまたは文が切れるときはピッチを立て直して音を高くする。しかし、棒読みではいけない、聞き手に伝わる読みを、音訳表現を用いてする。以上は私の私的理解です。間違っていたらごめんなさい。

朗読については、いろいろな方がいろんな事をおっしゃっているので、私など語る言葉を持たないのですが。朗読をするとき、聞いてくださる方に伝わるよう、最大限自分の表現力を駆使しちゃいます。何を読むときにも。いまいち表現できていないのは力不足なんだろうな。

ところがデスね、最近は、音訳でも、聞き手に伝わるよう表現をしましょうってことになってます、か?なっているような雰囲気があるのですが、どなたか最近の音訳の流れについてご存じのことがありましたら、教えていただけるとうれしいです。

ある程度、表現(音訳表現でなく、私的?な表現)が許される傾向があるなら、また音訳も変わっていくんでしょうね。

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